血液型。

小さな頃、僕はお母さんに聞いた事があります。
「僕の血液型は何?」
母さんは答えます。
「良く分からないけど、多分A型」
良く分からないというのは、生まれたての赤ん坊の頃に検査したためで、生まれたてでは血液の抗体が十分に発現していない為、検査時に検査間違いがあるからだそうです。
けれどその時分の子供には親、ひいては大人の言うことは絶対で間違いの無いものだと言う先入観とそのパラダイムが存在します。
良く分からない、と前置きされても母さんが言うからにはA型なんだと、良く考えずに受け入れた憶えがあります。


少し成長し、母さんに何度か聞いた事があります。
「僕の血液型は本当にA型でいいの?」
成長すると、僕はあの時の良く分からないという前置きが気になって仕方ありませんでした。
本当にA型でいいのだろうか?
学校の修学旅行の時など、万一の為にカードに血液型を書いたりしました。
そのときも僕はA型と書きます。
その度に、本当にA型なのだろうか?という小さな不安を抱えていた気がします。
「多分A型でいいよ。」
母さんの返事はいつもそれでした。
経験上、そう間違えることは無いと思っていたのでしょう。
母さんの職業は検査技師でしたから。
きっと、そう云う血液検査を何度もやったのでしょう。


そうして、僕はA型の子供として成長しました。
「君、何型?」
そんな他愛の無いおしゃべりのとき、当然の様にA型と答える僕がいました。
そうして僕は、自分は右利きで、父さんと母さんの息子で、長男で、二人の弟の兄で、理系で、近視で、日本に住んで、関西弁といわれる日本語の方言を話し、生地は京都で、育地も京都、大学のために大阪に下宿し、ライフル射撃部に所属し、理学部生で、院生で、そしてA型の人間であると考えて生きてきました。


今日、献血に行くまでは。
献血前に簡易の血液検査をします。
僕は、AB型でした。