妄想科学

最近とみに妄想します。
複数の人生を経験したい。
一つの人生じゃ無理がある。
やりたい事もやれない事も、やっては行けない事も全て有らゆる観点で見てみたい。
真なる客観と数多の主観を持ちたいと。
でもそれは無理なんです。
個人が考える、思考する上で嵌り易い罠です。
客観なんて存在しないし、よしんば存在しても決して届かない。
周囲との断絶、他人との壁すらも内なるものです。
結局人は自分の中に他人を作り出すしか他人を推し量れないし、その壁の存在すら内なるものなのです。
クオリアの問題に近いです。
有らゆる価値観は自分の中にしかないし、外には何もないのが人間です。
「推し量る」という内部的なシステムでしか外を類推することはできません。
他者を正しく、感じるのは不可能です。
最近60億回人生をやり直し、すべてを見たいと考えるようになりました。
そしてすべての総括は死後に訪れます。
つまり、あれですね、一は全、全は一。
僕は貴方であり、人類であり、あなたも人類も皆同様。
誇大妄想も此処まで来ると立派です。
話を戻します。
戻したところで何も行動していない自分に言う資格がないのは分かってるんですけどね。
まあ、取り敢えずは目の前のことをやろうと思います。
多分、こうやって寄り道せず、今やるべきことを繰り返すと、寄り道すら失くなるんでしょうね。
それが、多分大人になるってことでしょう。